2023/02/04
なつかしきツッパリ少年たち
なつかしきツッパリ少年たち
私がまだ少年だったころ
県庁所在地にある鉄道の駅前で
ツッパリの少年たちがたむろしていた
リーゼントに革ジャン姿の彼らは
当時流行の自己主張の形を作り
周囲にそれなりの存在感を示していた
そんな彼らの側を通ったとき
彼らの会話がとぎれとぎれに聞こえてきた
「そんなごど言ったって、しがだながっぺや」
「そうだっぺ」
「ふんだげども、あだまにくっぺや」
あれあれ
なまりが出でくっと
とたんにずっこげっちまあべや
だぁめだこりゃ
【あとがき】
私は、方言を使う自分にコンプレックスをもっていました。高校を卒業すると地元を離れ、都市部にある大学に入りましたが、全国から集まってきた学生たちとの生活が始まると、自分が他の人たちとは違う抑揚をもった、あるいは他の人たちは使わない言葉を使う人間だということをいやおうなく自覚させられることになります。変わった言葉を話す自分が恥ずかしくて、会話中に方言が出ないように気を付けていても、そこは20年近く慣れ親しみ、身に付けてきた言葉です、どうしてもポロリと出てきてしまいます。この作品にも出てくる、文末に付ける「~だっぺ」などは、会話の勢いに乗ってついつい言ってしまうのでした。言ってしまった私は赤面し、聞いた人たちはギョッとしたり、表情が固まったまま呆然と私の口元を見つめていたㇼ、中には口を手でおおい、肩を震わせながら必死に笑いをこらえている人もいます。そんな反応を見た私はますます身の置き所がなくなり、体をちぢめて恥ずかしさに耐えるのでした。今思うに、このコンプレックスは、異質な自分という存在を認められない自信のなさから由来していたのでしょう。その土地土地で長い年月をかけて育まれ、熟成されてきた言語文化がすなわち方言です。何の恥ずかしいことがあるでしょうか。その意味で、この作品に登場するツッパリのお兄さんたちは、自分たちの方言に誇りをもっていたかどうかはわかりませんが、何の疑問もなく、天真爛漫に慣れ親しんだ言葉を使いこなしており、ほほえましい言葉の使い手として思い出されるのでした。
「あとがき」が、こんなに長くなってしまいました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。念のため、ツッパリ少年たちの会話を標準語に訳しておきますので参考になさってください。そのままでも、大体の意味はお分かりになるとは思いますが・・・・。では、また。ごきげんよう。
「そんなこといったって、仕方がないだろうが!」
「そうだろう」
「そうだけれども、頭にくるだろうが!」
(断片的に聞こえてきた会話なので、何を言ってんだか、標準語でも分からないところがあります)
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