海水浴の思い出

   海水浴の思い出

 私がまだ子供だった頃の
 家族で行った海水浴の思い出

 私の生まれ育った町は
 海から遠く離れたところにあったのと
 家が自営業で、なかなか休みがとれないこともあって
 海水浴は1シーズンに1回行けるかどうかの
 私たち子どもにとっては得難くも大事な
 大きな喜びをもたらす夏の一大行事であった
 
 海へ出かける当日は
 朝早く目が覚めた
 父が私たち息子3人を車に乗せ
 海に向かう
 店番があるから、と
 母は家に残った
 だから、私の子ども時代の海水浴の記憶に
 母の姿はない

 さて、ここから海水浴の記憶をたどってみようとするのだが
 不思議なことに、海水浴をしている最中の
 つまり、海に入って遊んでいるときの記憶が全くない
 あるのは、海からあがり、民宿に引きあげてきてからのものだけだ
 
 夏のまばゆい光もようやく揺らぎ始めるころ
 浜から民宿に引き上げてくると
 一足先にもどっていた父は
 裏庭の水道のところで
 体についた砂を洗い落としていた
 一つしかない水道の前で
 遅れて戻った私たちは
 列を作って父が終わるのを待った

 父の背中に西日がまぶしく当たっていて
 浮き輪や敷物のビニールシートなど
 荷物を両手にいっぱい持ちながら
 私はそれをぼんやり眺めていた
 
 着替えをして、民宿の縁側で休ませてもらった
 そしてそれから、民宿に泊まったのか帰ったのか
 もうその先も何も覚えていない

 私の子どもの頃の
 海水浴の思い出
 あのころは父も若かった

 私が高校生のころ
 私は父に反抗し
 私たちはほとんど口もきかなくなった
 
 大学は5年かかってやっと卒業し
 父に大いに迷惑をかけたが
 家業は継がず、勤めの職に就いた

 その後、年老いた父は
 脳卒中で2回倒れ
 最晩年は施設で生活した

 ある日、面会に行くと
 「あのとき、なんでこんなに怒るのかと思ったよ」
 と父に言われた
 家の改修のことで父と意見が対立し
 頑固に自説を譲らず
 私の意見に少しも耳を貸そうとしない
 そんな父の態度に激怒した私は
 思わずテーブルを叩きながら
 暴言を吐いた
 そのときのことを父は言っているのだった
 穏やかな口調だったが、寂しそうだった
 私は予想もできなかった父の言葉と姿に動揺し
 口ごもったままその場に立ち尽くしていた
 
 父は10年前に亡くなった
 肺炎で入院し、発病から3日後、息を引き取った
 意識がなくなる前、ベッドに横たわった父は
 自分の体に目をやりながら
 「せいしろう、こんなに痩せっちゃったよ」
 と言った
 自分を憐れむような、寂しそうな声だった
 それが私の聞いた、父の最後の言葉になった

 病院から知らせを受け、病室に入ると
 意識を失った父は人工呼吸器につながれていた
 臨終の父と病室の中で二人きりになった私は
 こっそりと父の手を握った
 血圧計のモニターに表示される数字はどんどん下がっていたが
 手にはまだぬくもりがあった

 父の葬儀のあと、深夜一人で書類の整理をしていると
 涙が溢れ出してとまらなくなった
 声を押し殺して泣いた
 
 父が亡くなり
 海水浴の思い出
 ますます遠くなった


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コメント

なんだか

涙が溢れて止まりません。
私も、父を亡くしているから?
病床の父を観て来たから?
父の悲しみを知っているから?
それとも
父の期待を裏切ってしまったから?
何故か、涙が止まりません。

Re: なんだか

なんだか嬉しくてたまりません。読んでいただいた上にコメントまでいただいて。本当にありがとうございます。
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あさひなせいしろう

Author:あさひなせいしろう
 拙い文章を読んでいただき、とて
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のブログの生きる糧になります。お
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