2023/02/27
序章~妻へ~
序章~妻へ~
ある夏の日の昼下がり
つきあい始めて間もない私たちは
美しい谷川のほとりを散策していた
木漏れ日を浴びて歩く私たちは若く
二人の足取りは軽やかだった
過ぎ去ってゆく時を惜しむように
私たちはときどき足を止めて
山が呼吸する気配や
静かなせせらぎの音に
耳をかたむけた
谷川の流れはあくまでも清く
私たちはその誘惑にまけて
冷たい流れに手をひたした
そうして私たちは
戯れにそのしずくをかけあった
そのうち私は水をすくって
少し多いかなと気にはなったが
興のおもむくままに
あなたにそれを放り投げた
水は見事にあなたの顔を直撃し
あなたの顔は
水浸しになった
あなたは笑ってすませてくれたが
戯れというには度が過ぎていた
そして私は
きちんと謝らなかった
あのときは、ごめん
あなたはたぶん
覚えていないかもしれないが
こんな些細なできごとが
この世におさらばするときを
時々思ってみる今日この頃
なぜだかしきりに思い出され
やがてこの文章は
あなたへの遺言状の
序章になると思うのです